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密教(真言宗)の歴史についてまとめました。 |
| 紀元前1200年頃 | 古代インドで密教の要素である真言や護摩が発展する。 | ||
| 紀元四〜六世紀 | 四世紀前半に統一王朝のグプタ朝がガンジス河の中流地域を拠点としてインドのほぼ全域を支配。 以前からあった民族宗教のバラモン教が様々な要素を取り入れヒンドゥー教として新たに再編成。 陀羅尼経典や供養、真言、観想などの密教経典はこの時代の産物となる。 |
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| 紀元七世紀頃 | インドにおいて『大日経』・『金剛頂経』などの経典を基盤とし体系的な密教が成立した。 | ||
| 716年 | 東インド出身の善無畏(ぜんむい)により唐の都の長安で『大日経』を漢訳し布教活動をする。 735年に入滅。 |
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| 719年 | 南インド出身の金剛智(こんごうち)が唐の広州に入る。翌年に洛陽に入京し布教活動をする。 一行(いちぎょう)や不空(ふくう)が門下に集まり『金剛頂経』の漢訳をし布教をする。 741年に入滅。 |
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| 743年 | 不空(ふくう)が南インドやスリランカより密教経典を持ち帰る。帰国後に漢訳。 現在の日本で用いられている密教経典の半数以上が不空の訳出した物が使われている。 774年6月15日に入滅。 |
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| 774年6月15日 | 空海が讃岐国(現在の香川県善通寺市)にて誕生。俗名は佐伯眞魚(さえきのまお)。 不空の生まれ変わりが空海であるという伝承される。 |
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| 804年 | 空海と最澄が遣唐使の留学僧として唐に渡る。 空海が不空の弟子である恵果(けいか)より6ヶ月に渡り、『大日経』と『金剛頂経』を伝授された。 遍照金剛の灌頂名を与えられた。 恵果は翌年805年に入滅。 空海は806年に日本へ帰国し日本に流伝される。 |
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| 809年 | 空海が高雄山寺(後の神護寺)に入る。 | ||
| 810年 | 薬子の変。空海は嵯峨天皇側につき鎮護国家のための大祈祷を行った。 | ||
| 812年11月15日 | 空海が高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇。 | ||
| 816年6月19日 | 空海が高野山の開創。 | ||
| 822年 | 空海が太政官符により東大寺に灌頂道場真言院を建立。平城上皇より潅頂を授けた。 | ||
| 823年正月 | 空海が太政官符より東寺(教王護国寺)を賜り、真言密教の道場とする。(東密) | ||
| 824年2月 | 空海が勅により神泉苑で祈雨法を修した。 | ||
| 832年8月22日 | 高野山において最初の万燈万華会が修された。 | ||
| 835年1月8日 | 宮中で後七日御修法を修す。 | ||
| 835年3月21日 | 空海が高野山にて入定。現在も空海が禅定を続けているとされる。 | ||
| 921年10月27日 | 空海が弘法大師号を賜る。 | ||
| (補 足) |
| - バラモン教 - 古代インドで仏教興起以前に信仰された民族宗教。 バラモンとは司祭階級のことを指す。ヴェーダ聖典に基づき紀元前13世紀頃に形成されたとする。 |
| - ヒンドゥー教 - バラモン教にインドの様々な宗教・信仰が加えられ、様々な人の手によって再構成された宗教。 ブラフマー(宇宙の創造を司る神:日本では梵天)、ヴィシュヌ(宇宙の維持を司る神)、シヴァ(宇宙の寿命が尽きたときに世界の破壊を司る神:日本では大自在天)の三神が一体とし信仰される。 他にはガネーシャ(日本では歓喜天)、インドラ(日本では帝釈天)、ラクシュミー(日本では吉祥天)、マハーカーラ(日本では大黒天)など信仰の対象とされる。 修行としてヨーガなどが挙げられ、一部形を変えて日本の仏教にも影響を与えている。 |
| - 大日経・金剛頂経 - 大日経の別名は大毘盧遮那経(だいびるしゃなきょう)。7〜8世紀頃に成立したと考えられている密教経典。 大日経で説かれるマンダラは十二の院で構成されており、胎蔵界曼荼羅と言い「大いなる慈悲から生じたマンダラ」という意味。 金剛頂経は大日経にやや遅れて成立した密教経典。複数の同系統の経典の総称である。 金剛頂経で説かれるマンダラは九つの部分(会)から構成されており金剛界曼荼羅・金剛界九会曼荼羅とも呼ばれる。 |
| - 善無畏(ぜんむい) - 東インドのオリッサ地方の王子。王位継承を巡り兄と戦う事になるが兄に王位を譲り出家。 ナーランダ寺院で密教を学んだ後に中国へ渡る。 70歳を超えてから長安に入京。長安の寺で『大日経』を見つけ翻訳したことにより、現在の日本の密教に影響を与える。 |
| - 金剛智(こんごうち) - 南インドの第3王子として生まれる。10歳の時にナーランダ寺院へ出家。 各地を訪ね周り大乗・小乗の各種の戒律を学び、再びナーランダ寺院へ戻る。 正式な僧となった後、龍智菩薩から密教を授けられたとされる。 スリランカ・スマトラを経由し善無畏に遅れる事4年、広州に入る。その後『金剛頂経』を翻訳し中国の人々に密教の布教を盛んに行う。その中に一行・不空などが門下に集まった。 |
| - 不空(ふくう) - 出自については未だに不明。15歳で出家し金剛智に師事し密教を学ぶ。 金剛智の入滅後に南インドやスリランカを回り最新の密教経典を持ち帰る。 長安に帰国後も大興善寺に身を置き布教活動を行った。 |
| - 恵果(けいか) - 不空の門下の一人で空海の師。 『大日経』(胎蔵曼荼羅)と『金剛頂経』(金剛界曼荼羅)の2種類の密教経典を両部の大経・両部のマンダラというセットにし確立し教義化する。 両部を理(物質)と智(精神)という二元論に対応させた。 青龍寺に身を置き空海に密教受法を行う。 |
| - 後七日御修法(ごしちにちのみしほ) - 御修法(みしほ)とは国家主催の仏教の儀礼。 宮中で元旦から7日まで神事を行われる前節に対して、8日からの一週間を後七日と呼ぶ。 真言宗最高の秘儀・厳儀とされている。 もともとは唐の不空が、皇帝の為に始めた例にならい始められた。 国家安泰・世界平和・五穀豊穣・万民豊楽などを祈り、日本では初めて空海が修した。 |
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